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たくさんの思い出ブログ。

浦安の神話 豊受神社 豊受気媛神(とようけひめのかみ)2013/10/21

浦安に住んでいるのならば知っておきたいこと!

神話によると、
天照大神(あまてらすおおみかみ)は天界から地界に降りてくるとき、豊受気媛神(とようけひめのかみ)から五穀(米、麦、粟、胡麻、豆)の種を受け取り、広めたと伝えられている。
トヨは美しい、ウケは「食」のことであり、ヒメは女神、つまり食料の神は女神であるということである。

♦浦安の守護神と豊受神社
浦安の代表的な神社の一つ、豊受神社に祭られている神は、稲穂にやどる美しい精霊、豊受気媛神(豊受媛の神)である。


かつて豊受神社の境内に海神社という小さな祠があった。
ここには豊玉比売神(とよたまひめのかみ)が祭られていた。
この神には、男性の横暴を戒め、子どもの健やかな成長を祈る女性の願いが込められている。

日本武尊(やまとたける)が東国を平定するため伊勢を出発し、箱根を超えて三浦半島まで軍を進めたが、そこから先に進めなくなってしまった。
東京湾の浦賀水道付近は、いつも潮流が早く『走水の海』(はしりみずのうみ)と呼ばれ恐れられていた。
波立ちながら激しく潮が流れるのは、この海に棲む龍、大綿津見神(おおわたみのかみ)の仕業だと信じられていた。
前に進めない軍を見て武尊の妃、弟橘媛(おとたちばなひめ)は「私が龍神を鎮めに行きましょう。
海が凪いだら素早く軍を進めなさい」と言って海に飛び込んだ。こうしてようやく軍を木更津に進めることが出来た。
『走水の海』には海を司る龍神が棲むと畏れられていた。
そして、その神の棲む龍宮への入口が浦安沖にあると、地の人たちは信じていた。浅瀬の海には絶えず流れのある海中の川があり、この流れは澪と呼ばれている。
船橋から浦安にかけて三番瀬を横切るようにして流れる大きな潮うねりがあり、漁師はこの流れを大澪と呼んでいた。
流れは浦安の高洲付近で大きく方向を変え、湾の真ん中に向かって落ちこんでいた。
この流れの変わる所に漁師たちは龍宮の入り口を示す目印の棒木(ぼんぎ)を立て、龍宮の棒木と呼んでいた。
豊受神社は五穀豊穣と子供の健やかな成長を願う人たちによって建てられた女体神社である。


【海と浦安】という本に書いてありました。
かなり前に新聞社から頂きました。
読んでみると浦安の歴史が分かり面白いです。
サイトでも読めます。こちら→【海と浦安


はい、今回はお出かけでもなんでもなく、豊受神社のお話でした。
何故?豊受神社。

七五三で行ったので!

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